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俺の独り言。

独り言を公開するブログ。

妊娠した生徒に体育を強要した京都府立朱雀高校の対応に批判が殺到しているので、偏差値や校風を調べてみた。


ツイッターで話題だが、京都府にある朱雀高校の対応に批判が集中している。

妊娠した生徒に体育参加を強要し、体育の実技に参加しなければ卒業させないというものだ。

今回の問題は3つある。

1つ目は、高校を卒業するためには単位を取りきる必要があること。

2つ目は、体育の単位を取るには実技に参加しなければならないとされたこと。

3つ目は、体育に参加しなければならないとされたのは、妊娠した生徒であるということだ。

卒業に必要な単位を「おまけする」のはたとえ妊娠してようと許されることではない。

妊娠したから授業に参加しなくても卒業させてあげる、では筋が通らないからだ。

しかし、体育の実技を必修にする、というのには疑問が残る。体育の授業で身体を動かすのは当然大きな負荷がかかる。

流産のリスクも増えるだろう。

妊娠は自己責任だが、学校側で妊娠を禁じることはできない。そして、妊婦に体育を強要することは体罰である。

新聞にもあるように、レポートの提出などで代替できたのではなかろうか。

京都府立朱雀高校の偏差値を調べてみた。

下記のサイトによると、朱雀高校の偏差値は43。決して高い偏差値とは言えない。

http://xn--swqwd788bm2jy17d.net/kyoto.php

おそらく進学校ではないだろう。

これは僕の偏見だが、低偏差値の高校生、生徒の素行に対して、元々教師側が偏見を持ったのではないか。

「こいつら(生徒)は馬鹿な奴らだ。どうしようもない奴らだ。だから意地悪しよう」と。

外に出てしまうとなかなか見えてこないが、教師というのはひどく不完全で、常に偏見を通して生徒を見るものである。

平気で差別するし、論理的じゃないし、授業の質は低い。

英語の教師のなのにTOEICで700点も取れない人もいるし、毎年毎年同じ文章を黒板に書き続ける「授業のPDCAを回さない」還暦間際のジジイ教師もいる。

授業を評価されないから、彼らは改善しないのだ。

個人的な感想だと、世の中の公立高校教師の授業の9割は価値がない。

なぜ価値がないかと、彼らは教えるのが下手だからである。同じ時間に自習していた方がよっぽど時間対効果が高いのに、彼らのプライドはそれを許さない。

「俺の話を聞け。俺を見ろ」

聞く価値のない授業と判断されていることは認めない。

そうすると、自分が否定されたことになるから。

彼らの授業の何が下手なのか?まず、昭和から続く教師の授業のスタイルが悪い。

例えば社会。

教科書に書いてあることをひたすら板書し、読み上げるだけの授業。だったら、黒板に字を書く時間が無駄だ。

毎回同じこと書くならパワポにしろ。というか、教科書を転記するだけなら板書自体いらない。

僕が社会の教師なら、教科書の内容に感情の彩りを与える。

たとえば、日本史。

歴史を作るのは人である。人にフォーカスを当て、そのとき誰がどんな感情を抱いたかを描く。なぜその事件が起こったのか。どんな感情が渦巻いていたのか。歴史小説にあるような、人と人の物語を伝えることで、記憶に鮮明に残す。

単純に暗記しても記憶に残らないから、「なぜその事件が起きたか」をとにかく徹底して説明する。歴史とは重要単語がランダムに出てくるわけではない。必ず、流れがある。

そして授業の最後に、この知識がどういう風に試験で問われるのか、センター試験の問題とどっかの大学の二次試験の問題を解かせる。答えはその場で渡す。

そうすると、「試験に出る問題」という形で知識が定着する。

数学だったら、公式を丸写しなどしない。

なぜその公式が成立するのかを徹底的に説明する。

そして、必要十分な「なぜ」の解説をした段階で問題を解かせる。答えだけでなく超丁寧になぜを解説した解答も配る。自習できるように、復習できるように。

これだけで、普通の公立校の馬鹿教師の256倍は有意義な授業ができると確信している。マジで。

学校の価値は「場」にある。

中学・高校はその時その瞬間しか経験できないかけがえのない場所だ。

仲間と出会い、ライバルと競い、恋をして、たまに喧嘩もする。

どんなに教師がアホで授業に意味がなくても、高校に行かない理由にはならない。高校という「場」はそれ以上に価値があるところだからだ。

学校の主役は教師ではない。生徒である。教師が学校に感じる100倍以上の価値を生徒は感じている。人生で一度きりの高校生活なのだ。

教師たちは、偉そうにするんじゃない。おまけであるということを自覚するべきだ。